第184回「ASKA Terminal Melody」〜ゲスト「松本晃彦」さん
2024.08.11
音楽
先日、プロデューサーの「武部 聡志」さんのラジオに出演した時に語った。
僕にソロライブをやるよう強く勧めてくれたのが武部さんだった。
武部さんがサポートメンバーの中心となり、
「今、音楽業界でこんなメンバーが集まることはないという、メンバーを揃えてみせるよ」
から、始まった。
そして、僕は「ソロライブ」を決断したのでした。
ところが、その武部さんのスケジュールが、ユーミンと被ってしまった。
で、
「僕の代わりとなる強力な人物を紹介するよ」
が、「松本晃彦」だった。
松本は、ラジオで語ってくれたように、僕がプロデュースした福岡の後輩ミュージシャン「宇佐元 恭一」のアルバムで出会ってた。
さて、ここから松本晃彦を、いつものように「アキちゃん」と呼ぼう。
リハーサルにおいて、アキちゃんはよくこのセリフを使った。
「通常ならば、これで全然OKだけど、オレたちはASKAバンドだよ。このメンバーに『これでいい」はないからね」
「ASKAバンド」と最初に呼んだのは、ドラムの江口。
初の「ASKAソロライブ:ID Tour」のリハーサルには、そのバンドをしても1ヶ月半近く行った。
そして、ASKA ソロライブツアー「ID」が1997年3月30日(日)「横浜アリーナ」を出発として全国ツアーに向かった。
初日、横浜アリーナのお客さんは「ASKAのソロライブ」というものが想像つかなかった状態で、僕を迎えてくれた。
1曲目は「共謀者」
「イェイイェーイ!」という僕のシャウトからライブは始まった。
と、いうあの瞬間の光景は、凄まじく記憶に残ってますね。
お客さんのどよめき、大歓声がアリーナに響き渡りましたからね。
横浜を初日に全国に出て行った。
旅先では、毎晩メンバーと行動を共にして、その夜の最後は、僕の部屋に集合。
参加メンバー、唯一女性の「大滝裕子」も、毎晩付き合ってましたね。
そのツアー(リハーサル含む)からですよ。
アキちゃんと「つがい」のように行動を共にするようになったのは。
「C&A」のASKAにはなかったモノを、僕に与えてくれた。
そして、僕は、本当の意味での「リーダー」という立ち位置を認識したのでした。
うん、僕はあのツアーで変わったと思うな。
それまで、必然的に抑えていた自分を、前面に押し出すようになりました。
今週「Girl」を選んできくれたね。
アキちゃんとの話は、尽きない。
来週、また、ゆっくり話をさせてください。
今日は、ベースの「惠美直也」が、ウチに泊まりで遊びにきます。
これから、食事です。
行ってきます。
ASKA(2024/8/11 19:54)
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kay
ASKAさんと、ASKAさんの周りの方は、
皆様素敵な方です。
ASKAさん、とっても幸せそう♡
この良きご縁がずっと続きますように☆ -
at−nayua
ASKAさん、恵美さんとお食事なのですね!
行ってらっしゃい👋😃
「ID」ツアーのASKAさんは、それはそれは格好良かったですよ!💕!💕
また、ゆっくりお話聞かせてください✨ -
reeka
こんばんは。
これからお食事なんですね。
行ってらっしゃい👋😊 -
まりこFellows
松本晃彦さんとのエピソード楽しみです!
恵美さんがお泊まりですか、こちらも楽しそう☆楽しい時間になりますね~