9/8 186回「ASKA Terminal Melody」〜リクエスト回
2024.09.10
音楽
昨日の「ASKATerminal Melody」
ちょうど2度寝のさ中に放送。
番組が終わって、リハーサル初日に向けての用意をしながら「radiko」で聴きました。
・今がいちばんいい
・BIG TREE
・さようならの幸せ
・HEART
の4曲だったね。
「今がいちばんいい」をライブで楽しみにしてくれてる親子さん、う〜ん、今回のセットリストには入ってないんだよなぁ・・・今のところ。
本日のリハーサルでも、1曲差し替えた。
ライブのセットリスト候補には無かった曲に。
「WHO is ASKA?」を「It is Me!」にするためには、必要な気がしてね。
こうやってリストから消えていく曲は忍びない。
それでも、ツアータイトルは「WHO is ASKA?」だからさ。
そしてライブという作品のシナリオを完成させるため、心強固に向かっています。
今日は、リクエストから「さようならの幸せ」を。
この曲は、1985年1月25日リリースになった、アルバム「 Z=One」の中の1曲。
音楽界にコンピュータが現れたのは1983年じゃなかったかな?
ひとつ前のアルバム「INSIDE」では、レコーディングテープのトラックに「信号」を走らせながら、それと同期させてダビングを行った。
あれ、今で言うコンピュータとは言えないけれど、コンピュータの走りですね。
ああ、「Y・M・O(イエロー・マジック・オーケストラ)」が、テクノサウンドで既に使用していたから、1983年前にはあったんだった。
でも、いわゆる「歌もの」の世界では、まだぜんぜんポピュラーじゃなかった。
そして、その「走り」も1年後にはスタジオで活躍するようになった。
この業界に「MC4」というデータを記録するモノが現れて。
でも、それはそれを動かす専門職が必要だった。
まだ「マニピュレータ」なんて言葉はメジャーじゃ無かったですね。
そしてC&Aはデビュー6作目となる、アルバム「 Z=One」の制作に入った。
制作に入る前は、アルバムに入れる候補曲を満たさなくてはならない。
アルバム制作中に「この手の曲が足りない」で、書くこともあります。
いや、よくあったかな。
そんな時、同じ福岡出身のミュージシャン(後に「S.E.N.S. 」)が声をかけてくれた。
「ウチでデモ制作しない?」と。
何やら、家でレコーディングができるらしい。
早速、「S.E.N.S.(センス)」のところに行ったよ。
そこには、先ほど紹介した「MC4」があった。
機材は、その「MC4」と「シンセ」、そしてそのシンセをいろんな音に変える音色の入ったカートリッジ、音を加工するための「エフェクト機」そして「スピーカー」。
「レコーディングはスタジオでするもの」という常識を覆してくれた。
その頃は、もうキーボードで作曲するようになってた時。
僕の「楽曲大量生産」が始まる寸前。
「どんな曲でも書ける」というそんな時に、デモ制作において、編曲家に口頭で伝える時代からの脱皮でした。
楽曲を、自分でデモ制作し、口頭で伝えていた楽曲の編曲を、音で明確に示すことができた。
自分の音楽を「音」で主張できるようになった。
「TWILIGHT ZONE」
「棘」
「オンリー・ロンリー」
「星屑のシャンデリア」
「さようならの幸せ」
このアルバム制作前にシングル「標的(ターゲット)」をリリースしていたけど、そのシングルは、カセットテープにギターをガシャガシャ鳴らしながらのデモだったから「センス」と作った曲じゃなかった。
今、アルバムのクレジットを見たら、「TWILIGHT ZONE」と「さようならの幸せ」の編曲クレジットに、僕の名前が入ってるね。
そうそう、そうだった。
あの時、編曲家の「瀬尾一三」さんにデモを聴かせた時、驚かれたんだった。
で、クレジットの時、
「あんた(瀬尾さんは当時僕を「あんた」と呼んでいた(笑))が、ほとんどやったんだから、クレジットにはあんたの名前も入れなさい」
と、言ってくれたんだった。
センスとのデモ制作は楽しかったなぁ。
自分の思うがままに楽曲が色付いていくんだから。
8ビートの「棘」、4分打ちの「TWILIGHT ZONE」、アコースティックギターサウンドに拘った「オンリー・ロンリー」、転調の真似事を連ねた「星屑のシャンデリア」。
そして、思い切りバラード曲を作りたいと思い、書いた曲が「さようならの幸せ」だった。
当時、僕の中では自分で言うのも何だけど、鍵盤での作曲が炸裂した系の曲が「さようならの幸せ」だった。
歌詞は、あれだね。
今なら「さようなら」に「幸せはない」と言える。
幸せになるため、するためには、何があっても引き止める。
でも、そんな気持ちを持ち合わせた若き頃だったんです。
昨日、イントロが流れた時、何の曲なのか分からなかったよ(笑)
歌が始まって、一気にあの日の光景に戻った。
あの「センス」との出会いがなかったら、僕の今はない。
あのデモテープ制作後に、僕の中目黒の部屋は機材でいっぱいになった。
音楽業界で「ASKAのデモはすごい」という声が、僕の耳にも届くようになった。
それからです、楽曲提供の依頼が一気に増えたのは。
いちばん抱えた時は、自分の曲も入れて「11曲」書かなくてはならない時があった。
でも、全然苦じゃなかった。
僕の音楽の転換期でしたね。
ASKA(2024/9/9 24:48)
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うーこ
こんばんは🌙
私の知らない世界のお話、
どんなふうに楽曲が生まれて行ったのか、
生い立ちを少しでも知れると、その曲の聞き方や愛情がまた変わりますね。
夜更けに、じっくりブログを読ませていただけて、
幸せな夢が見れそうです✨
ライブめっちゃ楽しみにしています!
ASKAさん、いつもあリがとうございます❤ -
あすちゃも
昨日ポストしたのですが、さようならの幸せのイントロで、鳥肌が立ちました。
久々に聴いて、胸がキュッとなりました。
特にZ=One以降、80年代後半の曲、特にバラードは、たまらなく好きだったりします✨
もちろん、それ以降も以前も好きですが、また別格の顔を持っているように思えます。
こういうお話嬉しいです。
また色々お話待ってます。 -
おはぎ
こんばんは
棘
あの頃、聴きまくりました。
作曲の裏側を当時にASKAさんから聞いたら、ファンは皆、嬉しいですね
あの時、SNSがあったらなぁ -
るどるふ
LIVE初日に行くので楽しみにしています😊
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うさきりん
お忙しい中の更新、ありがとうございます。