井上カメラ店(2026年版)

2026.10.01

日常

コメント
「ASKAさんの子供の頃のお話を聞くのが好きです💕
井上孝治さんの「こどものいた街」という写真集を時折眺めては、ASKAさんのいた頃の情景を思い浮かべています😊」

井上さんのお話が出てきたので、久しぶりに以前のブログを読んだよ。
前に誰かが言ってたよね?
「文体が違う」と。
そう、違うんです。

当時は、ラフな文体にしてはいけないと「です」「ます」を重視してた。

いま読めば固いねぇ🤭

書き始めたブログが数年経ち、ある時、僕はこう書いた。

「そろそろ文体を変えたい」

そこからだね、少しずつ今の文体に変化させて行ったのは。

それでも、この文体になったのは「Fellows」を設立してからじゃないかな。

それも、ここ5〜6年。


で、タイトルの「井上カメラ店」

2016年のブログを、2026年の文体で書き直してみるよ。
写真も挿入してみる😊

ーーーーー

2016.08.09
井上カメラ店


先日「春日原」(かすがばる)という詩を掲載した。
僕が、生まれ育った街の駅名。
福岡の「西鉄大牟田線」にその駅はあります。

家から線路を渡り右に曲がると、直ぐ左に小さなアーケード街があった。
そのアーケードに入って15メートル程歩いたところの右側にその写真屋はあった。


僕が持っていたカメラは、父のお下がり。

小学生の頃、すでにそのカメラはアンティークだったよ。

縦型の長方形をした二眼レフカメラ。
レンズが上下に二個ついたカメラです。
正面からは数字の「8」のように見えた。

そのカメラは、上から覗き込むと磨りガラスのような画面があってね。

その画面には十字の線があった。
その線の中心に被写体を映しだす。

この写真は、先日書いた「ファイヤーキング」のマグカップを写したもの。



フィルムは「12枚撮り」「24枚撮り」の2種類があった。
小学生の僕は、お金がないからさ。
買うのは、いつも12枚撮り。

12枚フィルム。
ピンぼけしたら終わり。
写した写真は現像に出す(カメラ屋さんに)。
現像から戻ってそれを確認するまでは、ちゃんと写ってるのかが分からない。

そのアーケード内にあったカメラ屋さんには、数回フィルムを買い行ったことがあった。

ある日、その店にはおじさんが居た。
そのおじさん、僕がその店に入っても背中を向けたままだった。

「こんにちは!」

振り向いてくれないんだよ。
もう一度「こんにちは!」と。
それでも振り向いてくれない。

困った・・・。
そのまま、僕はガラスケース(ショーウインドー)の前で固まってしまった。
そして、ようやく振り向いてくれた。
おじさん、ハッとしてたね。

「このカメラのフィルムを下さい。」

差し出したカメラを手にすると、おじさんはカメラのカバーを外したり、逆さにしたり、元に戻したり、レンズを覗いたり・・・。
どうやら、カメラが壊れたと思っているようだった。

「違うんです。フィルムを下さい。12枚撮りのやつを。」

黙ったまま、僕の顔をじっと見てる。
笑顔はない。
僕は店を見渡しフィルムを見つけた。、

「あのフィルムを下さい。」

おじさんは、そのフィルムを手にし、それを僕に手渡してくれた。
財布からお金を差し出した。
お釣りをくれたよ、無言で。

結局、僕がお店に入ってから出るまで、一言も口を開いてくれなかった。
それ以来、その店には行かなかった。


時は過ぎ、僕は大人になった。
そして歌手としてデビューした。
活動25年目を過ぎた頃だったかな。
僕の目に、一冊の写真集が飛び込んで来た。

昭和30年代の街の風景。
「こどものいた街」というタイトル。
それをめくって驚いたな。
僕が住んでいた街の風景だった。

昭和30年から40年にかけての春日原(かすがばる)の風景だった。
主役は、子供たち。
当時の子供たちが、その写真集にいっぱいに収められてた。

探したねぇ。
自分が写っているのではないかと。
しかし、それには僕らしい人物は写ってなかった。

でも、
「そうそう、こうだった」

「春日原駅は、こうだった」

とタイムスリップしたよ。

すぐに、その写真集を購入。
「龍神池でケンカする子供」と、いう写真があった。

当時、その龍神池は、向こう岸が遥か遠くに見えるくらいに大きかったのです。
現在は、埋め立てでどんどん池の面積は小さくなってる。
今では、ただの用水路扱い。
近々、それも埋め立てになるみたい。

写真集に自分は居なくとも、知った顔が現れるのではないかと、一枚一枚、じっくり探した。
でも、もう遠い遠い昔のことだからさ。
残念ながら、知り合いを見つけることはできなかった。
間違いなく知った子がいるはずなんだよなぁ。

当時の道路は土道で、ときに馬や牛が歩いてた。
みんな、馬や牛の糞を踏まないように注意して歩いた。

僕は違ったけど、男の子は坊主頭の子が多かったね。
女の子は、おかっぱ頭。

そうしてるうちに、1964年「東京オリンピック」が開催されることになった。
見る見る街が変わっていった。

1日の時間が大人より長い子供の目でもどんどん街が変わっていく様子が分かった。

時代を象徴していたような、坊主頭の子、おかっぱの子も少なくなっていった。

その写真集には、そんな時代の移り変わりが見事に収められていた。


写真誌の表紙には「井上孝治」。
昭和の風景を撮り続けた写真家であったことが紹介されてた。

写真家「井上孝治」さんがお亡くなりなった後、息子さんが、仕舞い込んであった膨大のフィルムを現像したところ、これらの写真が出てきたというエピソードが綴られていた。

僕の大好きな昭和。

その30年代を現代に蘇えらせてくれた。
写真家、井上さんは、春日原で写真屋を営んでいた。

ネットで井上さんのことを調べたよ。
聴覚に障害を持たれた写真家だった。
他の写真家たちからのこんなコメントを見た。

「井上の写真には勝てない。音の無い世界から写された写真だ。あの集中力には誰も勝てなかった。」

わかるなぁ。
あの、温かく、また鋭く切り取られた一瞬の光景は、耳に障害を抱えた井上さんならではの作品だったんだろう。

え?


「春日原の写真屋?」

ん?
2、3軒しかなかったじゃん。

「あ! あの時のおじさんだ!!」


一言も喋ってくれなかった、あの時の、あのおじさん・・・。

耳が聞こえなかったんだ・・・。

間もなくして、井上さんの息子さんと繋がることができた。
あのアーケードで写真屋を営んでいたとのこと。

あの日のわだかまりが、約40年を経て消えたよ。

このおじさんだった。

写真家「井上孝治」



ーーー

10年前のブログを、今の文体に書き換えてみました。

このブログ、何度も書籍化の話をいただいてるんです。

いつかね。
ツアーが終わったら、取り組んでみたいことのひとつ😊



ASKA(2026/10/1 14:21)

コメント
  • トラデスカンチア

    ASKAさん💞こんばんは。
    ASKAさんのブログ、是非書籍化して欲しいです✨
    本当に素敵なお話ばかりで。
    またASKAさんが書く文章もホントに素敵で。
    ASKAさんが紡ぎ出す言葉が本当に好きです✨

    昔の風景を思い出しますね…。
    心が温かくなります。
    誰しもが持っている思い出の風景は、どんな風景も温かいですよね。

    今夜も心が温まりました✨
    ありがとうございます✨

  • ちはるん

    ASKAさんが、いっぱい昔の思い出の話をしてくれるのは、やっぱりファンとしては、すごくうれしい😤

    こんなに、書いてくれる、アーティストっているんだろうか、、、💓

    ファンはASKAさんの記憶の思い出もいっぱいいっぱい知りたいんです!!

    ASKAさん、アーティストになっていっぱいの幸せをみんなに、与えてるよね😊
    同じ時代をファンは歩けてる、すごくすごく
    素敵なことだと思います。

    日本でも、いっぱいのアーティストがいるなかで、ASKAさんのファンになれて、とっても幸せです。

    あとASKAさんのファンって、みんなすごく優しいんですよ。😊
    ファンクラブで知りあって、25年くらい続いている友達もいます!

    ASKAさん生まれてきてくれて、ありがとうございます!😆
    ASKAさんみたいに周りを幸せにする人間になっていきたいです!
    「待たせたね」
    神戸できけるの楽しみにしてます!😆💓

    ファン感謝祭も今度は四国でも、よろしくお願いします。
    忙しいASKAさん、ブログを頻繁に更新してくれて、感謝してます!

  • あーたん

    あーそうだったんだ、、、
    時を経て、モヤモヤした気持ちが
    ステキな話になって解消されたんですね
    ASKAさんの話
    本当すきです
    人と人のつながり、温かい気持ちになることが多いです
    何!?えっ⁈ と思う話は
    夢 だということは
    少しずつ学習してきてます笑

  • ねね&杏寿

    文体って文にも体があるんだね。
    確かに、
    ブログを始められた頃の文の体は、
    アメリカ大使館に、
    かしこまったリクルートスーツで
    出掛けた時みたいな丁寧な文体。
    怒っていそうな時でも
    冷静さのある文体の雰囲気だった。
    それが妙に怖かったけどね(笑)。
    でも、その頃はそうしなきゃと
    真面目な硬めな文体にしてたんだろうなぁ。

    文体には、
    今のその人自身が出たり、
    元々の個性が出たりすると思うんです。
    文にリズムが乗っていれば、
    めちゃくちゃ元気とか、
    楽しく書けたんだろうなぁとか、
    読み手としても想像できたりする。

    ASKAさんの文体は、
    話し言葉で代表されるステージでのMCと、
    文字とでの裏表がないんですよね。
    まんまASKA。

    だから、
    「コレは真面目な話なのか?
    どこかでオチをぶっ放してくるつもりじゃあ?」と、
    すでに読者を人柄から惹きつけてる。
    それって、ちょっとジェラシー。
    たくさんの人に好まれて
    読まれてるってことだからさぁ。

    1980年代、夜ヒットに出た時、
    話の流れが思い出せないけど、
    最近観たビデオの中で、
    会話中に古舘伊知郎さんから
    「おじさん」と言われた飛鳥涼。
    街で小さな子供に、
    そう呼ばれたんじゃないかと、
    古舘伊知郎さんの
    冗談的な意地悪な表現なんだけど、
    それに対して飛鳥涼は、
    「おじさんって
    (俺まだ30前後で
    そんなふうに呼ばれる歳じゃないよ。
    言ってみれば、まだお兄さんだからさぁ)」
    みたいな、苦笑いの微笑みで
    「おいおい」と反論してた。

    井上のおじさんの写真、
    どう見てもおじさんと呼ばれるには若いと思う。
    つまり、
    飛鳥さんの子供の頃でも、
    大人の男の人にはおじさんって呼んだんだね。

    今はどう?
    子供におじさんと呼ばれたら、
    「俺まだお兄さんだよ。おじさんの歳じゃないよ!」
    と言うの?
    「あっ!!でもおじいちゃんだけどね」
    と落とすの?(笑)。

    書籍化の行方はどうであれ、
    こうして貴重な想い出話を
    いつも教えてくれて、
    ありがとう。

  • Lemon

    はてなブログから、もう10年以上経つのですね。
    忙しくてもほぼ毎日、一日に何回も更新することもあり、膨大な量になりますね。
    凄いですね。(この言葉しか知らない)

    ASKAさんは本当に凄いです!

    なんで、こんなに何もかも凄いんですか!

    ブログでASKAさんを身近に感じ、毎日幸せです。

    「~じゃん。」なんて言葉で話されたら、偉大なASKAさんが、もう友達と繋がっているような気分になってしまいますよ😅


    井上カメラ店さんで感じた違和感も解けて良かったですね。

    ASKAさんは記憶力も良いし、人との繋がりや引き寄せる奇跡のような話も沢山持っているので、やっぱり、「地球うまれの宇宙人」なのですか?

  • こず

    ASKAさん、ほんわかな話を聞いて、心が和みました😉
    ありがとうございます😊

  • あやや

    素敵なお話ですね✨
    やっぱり文才がおありで、あすかさんのブログに引き込まれます😊
    こんなとこにもあすかさんの引き寄せ運があるんですね!
    出会う人みんな、どこからか繋がってて、必ずまた会えたり、このお話のように何十年も経ってから腑に落ちたり。
    今回のライブはあまりMCないのですか?
    あすかさんのお話聞きたいな♡

  • ccann

    写真入りで見れて嬉しいです。

    ASKAさんの言葉や文章は、
    温かくて優しくて大好きです❤️

    ASKAさんの言葉に触れたいとき、
    元気もらいたいとき、
    じっくりゆっくり読んでいます。

    ブログ続けてくださって
    本当にありがとうございます😊
    書籍化待っています。

  • クレマチス

    ASKAさんには文才が備わってると思います。
    豊かな表現力で、読む人に情景をありありとイメージさせてくれます。
    内容がずっと頭に入ってきて、感情までもありありと伝わってきます。
    ブログの書籍化のお話良いと思いますよ。
    今日のお話も心にぐっときました。
    ありがとうございます😊

  • 翠ꕤ︎︎

    あたしの大親友だった脳に障害がある池ボ〜は、東京に家族がいるけれど年1回しか面会に来てくれず、一生退院できず病棟で生活しなければならないので、どれだけ泣いて看護師さんにワガママを言い、カーテンを引きちぎったり、食器をひっくり返したり、物を投げたり泣き叫んだりしたか分かりません。
    看護師さんよりあたしが良いと言い、あたしが手が空かないと癇癪を起こしたりもありました。
    看護師さんに、あたしの子になりたいとお願いまでしていて、あたしが甲斐性があれば引き取って生活してあげたいとずっと思っていました。
    母にも池ボ〜を引き取りたいと話した事があります。
    入院中に、たった1人の女の子を除いて病棟の患者さん約40人ぐらい皆んな仲良しな友達でした。
    面会に行くと皆んな抱きついて来てくれました。
    あたしをお母ちゃんと言い慕ってくれた78歳だったお爺ちゃん。
    診察に行くと懐かしい子が未だに、スリッパや服装で入院してるか分かります。
    あたしの人生時計は進んでいるけど、まだ皆んなの時計は止まったままなのが悲しいんです。
    一目見てまだ苦しんでるのが分かります。
    皆んな苦しんだまま一生退院できなかったり、施設や転院したり、病気が悪化したり、亡くなったりする子をずっと見てきました。
    自分だけ皆んなに申し訳ない気持ちがしました。
    皆んなに手紙書けたらどんなにいいだろうと思います。
    写真のお話、皆んなで看護師さん達と公園の桜の木の下で写真を撮った、お弁当を囲んだ皆んなの笑顔が、走馬灯の様に懐かしく蘇っています。
    いつかどこかで。