第234回「ASKA Terminal Melody」☀️7/29【追記】

2025.07.27

共有

今日は、

◾️元気か自分
◾️What A Wonderful World
の2曲を。

放送中に話したけど、アルバムリリース直前にして3曲録り直しとなってしまいました。
理由は「コンプライアンス」
3曲のうち1曲は、もうミックスダウンも終わってた。

「ASKAとの仕事を認めるわけには行かない」


と、いう*ミュージシャン、編曲家の所属する事務所の判断。

これはね、仕方のないことなんです。
当時のあの状況だったから。

一言も返さず、食い下がることもせず全てを受け入れました。
ここ「Fellows」ができる前だった。

3曲か・・・。
あの時、自分では気丈に振る舞っていたのだろうけど、心の中では「万事休す」だった。
復帰後第一弾アルバム「Too many people」は、リリースが決まっていたからね。
そして、やり直しとなった3曲とも「歌入れ」が終わっていた。

「羽をもぎ取られてしまった」と、いうのは自分が勝手に抱いてしまった痛み。
そこにはコンプライアンスという社会的な理由が相手にもある。
全てをフラットに。

沈んだ気持ちを水面まで持ち上げるのに必要だった時間は、それでも少しの間だったような気がする。

「こんな時だからこそ」

「ピンチはチャンス」

澤近に連絡をした。

S「3曲ですか?やりましょう!」
A「オケを完成するまでの時間が厳しいんだよ」
S「1日で完成させます!」
A「3曲だよ。1日でやれる?」
S「やりましょう!」

澤近は、その締め切りの予定日に、3曲完成させてきた。
そして、僕の自宅スタジオ(作業部屋)で、生楽器への差し替え。

ギター「鈴川真樹」「狩野 良昭」
ベース「惠美直也」

◾️それでいいんだ今は
◾️元気か自分
◾️しゃぼん

が、本当に完成してしまった。
そう、「完成してしまった」なんです。
水面を突き破った感覚になったよ。

その後、故郷「福岡」で生リズム楽器(ドラム・ベース・ピアノ・ギター)への差し替え。

ASKAバンドが福岡に集結してくれた。
これのスタジオのコーディネイトをしてくれたのが、ボーカリストの「一木弘行」だった。

アシスタント「藤山祥太」。

あの時は、東京のスタジオを借りれなかったからからね。

コンプライアンスです。

だから、メンバーが福岡に集まってくれた。

僕は、自分のスタジオを持っていたのだけれど、ブッキングを他社に任せていたので、その会社のコンプライアンスに引っかかるということで、自分のスタジオが使えなかった。

今から振り返れば、それが本当のことだったのかどうかはわからない。
あの頃は、仲間以外、再活動への協力者はいなかったということです。

いや、「コンプライアンスで協力できなかった」が、本当のところでしょう。

でもさ、

やる、やってみせることが自分の存在証明だった。

他人へじゃないです。

自分自身に向けての存在証明です。
後に、町田の「ダッチママ」がスタジオを使わせてくれた。
そこでは、ドラムに「今泉正義」が参加。

話を福岡に戻すと、
プレーを終えた仲間はすぐその足で東京へ。

僕と澤近が福岡に残った。
実は、もう一曲あったんです。
福岡に向かう直前、ギターか、ピアノだけで歌う曲を作ってみたくなった。
このアルバムには間に合わないだろう。
歌詞もできてなかったんだから。


その曲に「FUKUOKA」というタイトルをつけた。
タイトルが決まったら、歌詞、早かったですね。
すぐに完成した。
書きたいことがはっきりしていたからです。

福岡への感謝。

メンバーが帰った後、澤近と二人で完成させようとしてた。
ところが、その日、ギターの「古川昌義」が福岡に来てたんです。
翌日のライブのために、一日早く前乗りをしてた。
こんな偶然ってあるかい?

福岡に着いたその足で、すぐにスタジオに駆けつけてくれた。
当初、ピアノだけで歌う予定だった曲に古川のガットギターが入った。
これでアルバムが完成したわけです。

そしてミックスダウンの最中に、不起訴となった2回目の勾留。
不起訴になることはわかっていたので、僕は、その間、ずっと活動のイメージを膨らませていた。

そして釈放。

僕は、ブログで1曲公開すると約束をしてた。
その約束が果たせたのは、クリスマスの夜でした。


「FUKUOKA」

数日で100万回再生。
その後も順調に200万回超えの再生回数となりました。

そして、

ASKA オフィシャルチャンネルに、楽曲を移行。
カウント(再生数)は「1」からとなった。
あれは、もったいないことをしたなと思ってます。

そんな当時のことを思い出しながら、
今日は、ラジオから流れている「元気か自分」を聴いてたよ。


あの時、自分を奮い立たせた気持ち。

「こんなの、ただの坂じゃないか」

https://archive.fellows.tokyo/blog/?id=139


ASKA(2025/7/27 20:56)

P.S.

本文の「*

その時に出会ったのが、今、ツアーに同行してくれている

ギターの「設楽博臣(したら ひろおみ)」です。


人は知り合う人とは知り合うことになってる。


追記:

コメント

「せらくさん、またライブでお目にかかれますように😍」


ありがとう。

「設楽(したら)」に、伝えておくね😊

群馬県だっけ?

「設楽」姓は、多いとのこと。

(18:45)

コメント
  • みーこ

    再度、投稿を読み返してると…『いやぁ、これはやっぱり簡単な事じゃないな』って思いました。
    『覚悟!』ですよ、皆、何かしら覚悟をして動いてますね…簡単に出来る事では無いと、改めて感じました。
    凄いことです👏👏👏

  • ぴろりん

    今日のラジオ、聴きました。
    アーカイブのブログも、読みました。

    ASKAさん、これからもずっと応援します。

  • 波恵(おなみ)

    ASKAさん、こんばんは♪
    懐かしい話ですね!。
    凄いです!澤近さんのASKAさんへの愛が素晴らしいです〜バンドの皆さん…かっこいいですね。らASKAさんはやっぱり!強いです。あの時!「Fukuokaを歌うASKAさんもう涙涙でした。ずっーとファンで良かったです。これからも応援していきます。

  • Kumikun

    ブログ読みながら、復帰直後のライブの時のFUKUOKAを聞いた時に、泣いた事を思い出しました

    現在、コンプライアンスやハラスメントで復帰も出来ない時代になっていますよね💦
    本当に戻ってきてくれた事、嬉しく思います。

    こちらこそ感謝です💐

  • MonaLisa

    あの状況であのクオリティーのアルバムが発表されたことに感動したし、心からほっとした瞬間でした。
    あの、しばし続いてた緊張が一気に緩んで泣きじゃくった方、多いんじゃないかな、と思います😭

  • 麻也子

    11年前は私も同じようなことをしていたので、逆に同情してしまいました。
    公になるのは、色々大変ですよね。
    でも、そういう部分を知れたからこそ、さらに惹かれたのです。
    尊敬しています。

  • ASKAさんの「今」があって本当に良かったです( ; ; )

    「人は知り合う人とは知り合うことになってる。」

    そうかもしれませんね。
    ASKAさんが辛い時期を乗り越えられたのも、ASKAさんの勇気と周りの方々のASKAさんへの愛があったから。愛は強いですね😊
    音楽から人生勉強から不思議な話まで笑いつもありがとうございます😊❤️おやすみなさい🌙

  • osaka

    頑張れきよ
    負けるなきよ
    でしたね。次のライブセトリに入れて欲しいです

  • めい

    ASKAさんと出会えて最高に幸せです。
    一言ではいい表せないけれど幸せな気持ちにさせてくれてありがとうございます。
    ASKAさんの考え、人間性、素敵だなって思います。

  • きょろ

    まだ聞いてないのですがそういう裏話があったのですね。偶然じゃなく必然なのでしょうね。会うべき人と会うようになっている!